想定外

悪夢のような大地震が発生してから2週間が経とうとしていますが、いまだに1万人を超す行方不明者がいるという、何とも凄惨な津波災害です。運悪く亡くなられた方にはお悔やみを、被災された方にはお見舞い申し上げます


さて
今回の地震やそれに伴う津波、また原発の事故など、地震の大きさ・津波の大きさなど想定外の出来事ではなかったのかと思われます。大津波に備えて作られたスーパー防潮堤などもありましたが、全て破壊されてしまい待ちが津波に飲み込まれていく姿は、津波の破壊力の凄まじさとともに、人間の作った防災用施設の無力さといいますか、自然の強烈な破壊力の大きさに声を失う程でした

津波に慣れている地元の人ですら、今回の津波は想定外の大きさでしょうし、専門家であっても想定の範囲を超えていたのではなかったのでしょうか。もちろん、過去には最大で38mなどという巨大な津波がきたようですので、今回のような津波が起こる可能性は十分ありますが、誰しも  まさか今  という感じではなかったでしょうか

50年に一度・100年に一度・数100年に一度などと形容される災害がきますと、地元の人や専門家のほとんどは「想像を超えた・・・」「想定外の大きさ」などと必ず語ります

三陸海岸は世界でも有数の津波被害が多い場所で、過去にも大きな津波災害を受けている場所で、海岸沿いには巨大な防潮堤、海中にも数多くの消波ブロックが埋められ、海岸を守っているような場所です

しかし、自然の災害は人知と人間の技術を超えた脅威を持っている存在で、堅牢な技術で固めた万全な対策をとっているつもりでも、自然は人の営みを超えてしまいます。自然は人間の英知や技術を超えているものといっても過言ではないでしょう。それゆえに「想像を超えた・・・」とか「想定外の大きさ」などという表現が出てくるのではないでしょうか

台風・地震・火山・津波・豪雪など、普段は温暖で穏やかな気候に恵まれて過ごしやすい日本ではありますが、これも一重に自然に恵まれているからと言えますが、ひとたびその自然が牙をむくようなことになりますと大災害をもたらすのも自然であり、その自然災害から逃れるような場所に住んだり、生活様式を変えていくなどの工夫をしながら生きてきた民族であるとも思えます

今回の津波にしても同様で、津波被害が及ぼすような場所は昔からの人々の伝承等により、「ここらあたりまで津波がくるから、もう少し高い場所に家を建てろ」「井戸の水が濁ると津波がくる」「マグロやイワシが大量の場合は津波に気を付けろ」「川菜が繁殖する時は津波に気を付けろ」など、いろいろな伝承があったようで、その相関関係はともかくとしても、近代科学が無い時代にも、何とか津波災害から逃れようとそれなりの知見を得て、被災しないような努力を積み重ね、災害を乗り越えてきました

今回、これほどまでに津波による被害が大きかったのには、さまざまな要因がありそうですが、それは別の機会に書くとしても、過去に多くの犠牲を払ってきたのにもかかわらず、今回このように多大に被災してしまったのは、科学技術に頼りすぎていたという面もあるのではないかと思っています

あれだけの大きな地震でしたから、津波がくるかもしれないということは誰しも想像がつくような気がします。そして、すぐさま津波警報が発令されたでしょうが、恐らく、地震による直接的な被災により停電していたことが考えられ、津波警報が放送されずに住民全てに周知されていなかった可能性があります

地震が発生してから第一波の津波が到着するのに約30分でした。この30分の間に安全な場所に避難した人は助かり、逃げ遅れたり津波は大丈夫だろうとタカを括っていた人は被災してしまったのかもしれません。もちろん、高齢や体が不自由なため自力で逃げることができない人もいたでしょうし、なかには、「どうせたいしたことない」あるいは「自分だけは大丈夫」というような安易な気持ちでいた人も多くいたのではないかと思います

30分もあれば、普通の人が歩く速度で移動したとしても2〜3kmは移動することができそうです。リアス式の三陸海岸の湾内の集落であれば、どこに住んでいても恐らく30分もかからずに安全な高台に避難することは可能のような気がしますが、現実には恐ろしいくらいの被災者数に上ってしまっています

報道によれば、「父母が心配になり様子を見に行っている最中に被災してしまった」、「安全と思われる建物等に逃げたのに被災してしまった」、指定されている避難所ですら津波被害にあってしまいましたので、今回の津波自体をそれほどたいしたことはないだろうと思っていた人は少なくなかっただろうと思われます

津波の常習地帯である三陸にしても想定外の大きさであったことがうかがえられますので、仙台市名取川周辺ではとても想定すら超えている大きさであったことは確かでしょう。津波が襲ってくる衝撃的な空撮映像がありましたが、周辺に住んでいた人々は、まさかあれほどの津波がくるとは思ってもいなかったはずです(あれほどの津波がくる地域であることを想定していれば、恐らくそこには住まなかったでしょう)

おおかたの住民のみならず、政治家や国・自治体の職員も、まさかこれほどの規模の津波がくるとは考えていなかったようで、口を揃えて「想定外」を連発していました。もちろん、東電も「想定外」の連発です

今回の津波において、助かった人と被災してしまった人の差は、この津波を想定していたか、想定していなかったかに分けられるような気がします。2万人以上(恐らく3万人くらいになりそうですが)にものぼる死者・行方不明者のかなりの方には、想定外であったのではないかと想像しています

例えば、「ここは湾の奥だから、津波はここまではこないだろう」、「巨大な防潮堤があるから大丈夫だろう」、「最近の津波はたいしたことがなかったら大丈夫だろう」、「避難の放送がなかったら大丈夫だろう」・・・・・このように考えても不思議ではありません。まさしく住民からすれば想定外ではありますが、研究者や役人は「想定外の出来事」で済んでしまうことであっても、現地に住んでいる人にとっての「想定外」は、そのまま死に直結してしまうものです

阪神大震災奥尻島地震なども、地震研究者・役人、そして住民にとっては想定外な事でしょう。近年多発している集中豪雨による災害なども、ほとんどが想定外・・・で済ませられています。そして、想定外の災害により多くの命が失われているのも現実で、常にさまざまなことを想定していないと、生き抜いていくことは不可能なんじゃあないかとも思っています。いつ何時どのような自然災害が起きても、それ対応できるよう備えておきませんと自分の身を守ることすらできないのです

『災害は忘れた頃にやってくる』と昔から言われていますが、この地震津波による災害は、まさにそのとおりであったなぁ・・・・・と思っています

特に意識したわけではありませんが、何か役に立つだろうと、懐中電灯についてはヘッドランプまで含めれば7つほどLEDランプを揃えてありますし、カセットコンロも少し前に買い増ししてあり3台、携帯ラジオ、携帯無線機4台、エネループ電池は10数本、自動車にはDC→ACコンバーターと、災害時に役立つものが増えており、今回の地震に伴う計画停電においても懐中電灯や携帯ラジオの貸し出しまでするほどでした(笑)

『備えあれば憂いなし』とも言われておりますが、地震や停電災害のためにこれらのものを揃えたわけではなく、日常的に必要だろうということで揃えただけなので、偉そうなことは言えませんが、少なくとも今回の計画停電騒動で右往左往することなく過ごせるのはこれらのおかげだとも思っています。結果的に備えていたことになるのですが、これからは自戒しながら備えていこうと考えを新たにしたところで、なおかつ、さまざまなことを想定する事を忘れずにいたいと考えています


『自然に対しては、さまざまなことを想定しておく』ことが自らの命を守る最低限の心構えであり、『あらゆる事態(危機等)に対して常に備えておく』事の重要性をしみじみと感じた今回の大災害でした