犬の躾考・2

前回は僕の自由な散歩方法について書いたのですが、そもそも人間(飼い主)と犬がどのように向き合うのかというスタンスや考え方の違いによるものが大きいのかもしれません
さすがに今の時代、番犬にするためや狩猟犬、あるいは仕事犬(作業犬)というような感じで、犬を飼っている人は一部だけだと思われ、大多数の人はパートナーとして飼っているものと思われます

パートナーと一口に言っても、その関係性は微妙なところがあり、ただ可愛らしいから飼っているような人もいれば、一人暮らしや老後の生活の寂しさを癒してもらうような感じのものまで千差万別で、それぞれの人にそれぞれの理由があるはずです

僕自身としては、できれば犬にも自由を与え、一緒に散歩するだけでなく、一緒に山や川で遊んだり、鹿・猿・野良ネコなどを追い回したりなど、犬の好きなことやりたいことをある程度自由にやらせてやりたいと思っています。もちろん、人間を噛まないなどの最低限の躾をしておいてからですが・・・・そのため、基本は放し飼いで飼いたいのです

田舎に住んでいるのならともかく、住宅地にいてはそのようなこともできませんので、仕方がなく犬を繋いでおいて散歩をさせているのですが、できれば自由に走り回らせたいですね
『犬にも自由を!』というような感じでしょうか

なぜ、このような事を書くのかといいますと、現在行われているような事は【躾】なのか【征服】なのか微妙な部分があるからなのです。犬を飼い主のコントロール化におくことが躾のような風潮にしかみえず、犬を人間の言いなりに行動させることが良い躾であるかのごとく扱われているのに、何とも言えぬ違和感を感じているからです

犬をキチンと躾る方やトレーナーなどが必ず言われるのは、『犬は飼い主の命令をきいて誉められることに喜びを感じるのです』といった感じの理屈だからです

ですから、TVで紹介されているようなものを見ていますと、簡単なものでは「待て」や「伏せ」を覚えさせるのに、その命令ができたら思い切り喜んでオヤツを与えてやってください。そうすれば飼い主の命令をきくことによって、飼い主が喜んでくれるのを見て犬も喜びます・・・・といった感じで良くみたりするのですが、さすがにそれは言い過ぎだろうと思いますし、オヤツ欲しさにつっているだけでしかないだろうと・・・・このような方法で犬に待てや伏せを覚えさせるのを悪いとは思っていませんが、飼い主が喜ぶからと言うのには強烈な違和感を感じざるを得ないのです
散歩にしてもそうなのですが、犬に引っ張らせてはいけなく、自分の横を歩かせるのが一番コントロールしやすいし犬も喜びます・・・・さすがに犬は喜んでいるはずはなく、しいて言えば餌をもらえることに喜んでいるのでしょうが・・・・

つまり、犬をコントロールすることが人間にも良いし、飼い主が喜ぶことで犬も喜んでいる・・・・・というような感じで、『犬も喜んでいる』という部分に反発しているのです

つまり、徹底的に犬を躾てコントロール化におくようにすれば、人間も犬も喜びが分かち合え、それが両者の幸せに繋がるというのにはいささか疑問を感じており、狩猟犬・介助犬・警察犬などのようにそのために訓練された犬ならともかく、パートナー犬として飼っているものにまでそれを求める必要性があるのかと思っているのです

パートナー犬として飼うのに、そこまでしなければならないのか? もっと犬の意志に従った自由行動をさせた方が喜ぶのではないかと思っていますので、全てを飼い主の意のままにコントロールすることは【躾】ではなく、それを超えた【征服】のように思えてならないのです

ある意味、現在問題になっている『教育か体罰か』に近いような感じもしています