人は生かされている

7月に入り、ガソリンはさらに値上げをして180円/Lという、1年前には信じられない価格になってしまいました。その他、色々なものが値上げをしていますので、生活を防衛するのが大変になってきました


さて
「人は生きている」のではなく「生かされている」ものだと良く言われています。ところが、何となく生かされているという事は思えるのですが、実感としては乏しいものがあります(僕だけかもしれませんが)。生かされているとは思いながらも、自ら生きているんだと不遜にも思ってしまってもいます

先週末、親戚のおじさんがが不慮の交通事故で亡くなり、日曜日には通夜、月曜日には葬儀・告別式・初七日の法要まで無事済みました

交通事故は出会い頭の衝突事故でほぼ即死という状況でした。故人は、恐ろしいほどに人柄が良く、誰にでも優しく接していて、故人の事を悪く言うような人は無く、絵に描いたようなお人好しの善人といった方でした。ですから、突然の不法に接し誰もが惜しんだような人でした

年齢は78歳でしたが、心臓・糖尿・高血圧などもなく至って健康体で入院はおろか、ほとんど病気にもなったことがないくらいでしたから、突然の交通事故死とは誰しも想像していなかった事で、「惜しい」とか「もったいない」あるいは「可哀相」「理不尽」などという声があちらこちらから聞こえてきました

そんな中、初七日の法要が始まり導師様からの法話が始まりました

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残されたご家族や、皆さんの声を聞いていると、善人で悪い事など何一つしていないのに、なぜ早死にしなければならないのか・・・とか、神様も仏様もいないのか・・・などという声もチラホラ耳にしましたが、今回このような事故で命を失ってしまうという事は、ご家族の皆さんや周囲の方には理不尽な死で、簡単に受け入れられるものではないかもしれませんが、良い行いをしていれば長生きしたり、善人であれば長生きできる・・・というほど簡単なものではありません

先日、岩手・宮城内陸地震が起こり、たくさんの方がお亡くなりになったり、また、秋葉原での通り魔殺人事件でもたくさんの人が亡くなってしまい、ご家族や知人の方は理不尽な思いをされている事と思います。しかし、理不尽な死というものがあるわけではなく、人はただ生かされているだけですから、いつ誰に突然の死が訪れても不思議な事ではないのです

理不尽な死と思われても、そのようにはけっして思ってはいけません。残された方は、生かされている事に感謝しながら生きていく事が大切なのです

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というような感じの法話をしていました

なるほど。「人は生かされている」とか「感謝しながら生きる」という事は、このような事なのかと、この歳になって少しわかったような気がします

事故に遭う時は注意していても遭ってしまいますし、病気になてしまう時なども、かなり気を付けていても病気になってしまいます。特にガンなどのような病気は注意していても防げませんから、今生きていると言う事は、天命という事なのでしょうか

現在生かされている自分に感謝しなければなりませんね