秋葉原通り魔殺人事件

少し前になりますが、白昼の秋葉原で通り魔による連続殺人というセンセーショナルな事件が起きました

ここ10年ほど殺人事件が日常化しているのは、すでにご承知のとおりですが、特に尊属殺人の激増と無差別殺人が増えてきたのが目に付くような気がします

尊属殺人については、不況や介護疲れによる生活苦など目立ち、社会が良くない方向へ向かっているように思っているのは僕だけでは無い事と思います。特に介護疲れによる殺人が多いのは、何とも言えない悲惨さを感じてしまいます

さて、ここ数年それ以上に目立ってきているのは無差別殺人ではないでしょうか? 犯罪史上いくつかの有名な無差別殺人事件はありましたが、基本的にそれほど多いわけではありませんでした。ところが、近年では、想像以上のハイペースでこのような事件が増えています

無差別殺人はサバイバルナイフや包丁で斬りつけたりするのがあったり、駅でホームに人を突き落としたり、猟銃を乱射したりするなどなど・・・により犯人と無関係の人が殺されてしまう、やはり凄惨な事件でもあります

なぜこのような事件が増えてしまうのか、犯行の動機などについて報道をみていると、「人生が嫌になってしまった」というようないわゆる厭世的な気分から生じているような感じにみえます。猟銃乱射事件については想いを寄せていた女性との関係が発端のようですが、やはり基本は同じでしょう

人生が嫌になってしまう・・・何もかもが嫌になってしまう・・・などということは、生きていれば誰しもそのような感情を持つ事はあるでしょう。普通は、そのような感情というのは一時的なものでしかなく、特にきっかけもなく自然とそのような感情は失せてしまったり、何かのきっかけで吹っ切れたり、時間の経過とともに薄れたりしていくのでしょうが、大きな心のしこりとして残ってしまうような人もいるのも事実でしょう。そのような人達は、軽度であれば精神的な障害による自律神経失調や鬱で済んでしまうのでしょうが、さらに酷くなると自ら命を絶ったりする時もあるのでしょう

自殺者がここ数年3万人以上もいたり、精神障害を受けている人が増加しているのを目の当たりにしていると、日本社会の先行きに不安さえ覚えるほどでもあります。無差別殺人の犯人は、恐らく同じような精神状態にあったのだろうと推測することができ、自分の受けているストレスを自分自身に向けてしまうのではなく、他人に向けて発散してしまった結果のようにも思えてなりません

この原因は、バブル崩壊急激に変動している社会システムについていくことができなかったり、人間自身の持つどんな事があっても生きていくという精神力が弱くなっているのが大きな要素ではないかと思っています。そのため、他人から見ればほんの些細な事で病気になったり、時にはキレてしまうのでしょう。さりとて、そのような人達が病気にならないような社会になるはずはないので、柔軟でしぶとく生きていかなければならないのが、これからの日本社会のようです

それにしても、これだけ無差別殺人は増えてきますと、日本社会がアメリカのように銃社会で無くて良かったとつくづく思います。日本が銃社会であって、誰でも自由に銃が持てる世界であったなら、犠牲者はさらに増えた事と想像するだけで、背筋が寒くなる思いがします

昨日は、連続殺人犯の宮崎勤死刑囚の死刑が執行されました、「死刑判決」を出すのも難しい事とは思いますが、それ以上に難しいのは「死刑の執行」でしょう。そのため、確実に犯行が実証された者でなければ、おいそれと執行することはできませんので、死刑の執行は判決が確定された順番とはなっていないようです

まあ、宮崎死刑囚の死刑が執行されたのは、たぶんに見せしめ的なところがあったとは思いますが、みせしめだけで犯罪が減るとは到底思えませんし、何もかもが嫌になって死刑になろうとかまわないと考えている通り魔的な犯罪者については、それほど効力は無いようにも思えます

さりとて、今のような強ストレス社会においては、心を病む人も増えこそすれ減る事はないように思いますので、このような異常な犯罪が日常的に起こらないように祈りたいところです。もちろん、祈ったところで凶悪犯罪が減少するわけではありませんので、行き着くところは『自分の身は自分で守る』・・・ということになってしまうのでしょう

嫌な世の中になってきましたねぇ

とりあえず、今日の画像はイワツバメです。普通のツバメとかは、あまり可愛いとは思わないのですが、このイワツバメだけはズングリムックリとした体つきといい、つぶらな瞳といい、文句なしに可愛い鳥です。何であのような体型で素早く飛べるのか・・・このギャップも面白いですね