大震災と放射能漏れを通じてわかったこと・1

今回の大震災と福島原発放射能漏れ事故という、日本史上未曾有の大惨事を通じてさまざまな事がわかってきました

まず、大震災や大津波の発生や被害についてですが、最初に当たり前のことですが、自然の猛威については人間の英知や技術など何の役にも立たないということで、数々の防波堤や防潮堤などほんの一部を除いて、ほとんどその役目を果たさなかったような状況で、津波が来る速度が一時的に鈍ったおかげで助かった人もいたでしょうが、大部分が破壊されてしまった光景を見ますと、自然の持つ猛威の凄さは人間の力で押さえることはできないということを、つくづく思い知らされてしまいました

また、役場や防災センター、あるいは指定されていた避難所が津波に飲み込まれてしまうなど、甘かったとしか思えない防災対策の不備についても、これほどあったのかと驚かされ、津波を甘く軽視していたのか、あるいは、技術力に対する奢りがあったのでしょうか・・・

もちろん、これだけの被害を生んでしまった最大の原因は、残念ながら人間の甘さがあったとしか思えない部分もいくつかあり、少し前のエントリーでも触れましたが、津波が来る土地に居住していた事と、地震が来てから津波が来るまである程度のインターバルがあるのにも関わらず、避難しなかったり避難が遅れたりしたことで、今まで不発であった津波警報がたくさんあり、気が緩んでいた部分はあったにしろ、キチンと避難した人はたくさんいましたので、残念ながら「津波が想定外の大きさであった」というよりも「まさかこれほどとは・・・」とはという甘い考えの方が大きかったのではないでしょうか

決断力や判断力の優劣が、大災害時には生死を分けるということでしょう。つまり、災害時などの非常時においては、防災施設よりも 人間の判断力 が大事だということです

それと、基本的なこととして被災する可能性がある土地に居住するという、ある意味馬鹿げたことはやらない方が良いという事で、今回の津波により、先人の教えなどにより集落を高台に移転していた人達は助かりましたし、明治・昭和の大津波以降、集落自体を高台に移転していた集落は、当たり前ですが助かりました

三陸の地形や社会条件を考えれば、平地に住んでいた方が農林水産業に従事する人は、通勤などを考えると楽なことは誰にでもわかりますが、今回のようにいつかは被災してしまいます。被災するのを覚悟の上で住むのならともかくとしても、何となく平地の方が便利だろうという甘い考えでは自分の大切な資産や、時には家族まで失ってしまうという危険がはらんでいることを理解しなければならないということです

自分が住むところは、せめて100年以上は何の被災もない場所に住みたいと思っている僕には、過去に何度も被災した土地に住むというのは信じられないのですが、のど元過ぎれば熱さを忘れてしまうのかどうか、少なくとも注意したいところです

これらのことが被害を拡大させたことは間違いないと思っていますが、これだけの被害にあい普通なら暗く重い空気に包まれてしまうところですが、希望を見いだしたり熱い気持ちになったことも何点かありました

世界からも賞賛されたように、被災地では暴動等もおきず、被災者同士で助け合っていたことです。特に、被災しながらでも我も我もとはならず、譲り合いの精神で静かに並んで配給を受けたりする姿は、日本では当たり前であっても、世界的には希有の姿らしく、日本人としての誇りを実感したことと思われます

また、被災地だけでなく都内においても被災当日は、ほとんどの電車が止まってしまったのにもかかわらず、いわゆる帰宅難民と呼ばれた方達もパニックを超さず、静かに秩序を持って駅構内で過ごしたりする姿は世界でも注目されました

被災後すぐに義援金活動やボランティアなども始まり、短期間でたくさんの支援物資や義援金が集まったのも、日本人の助け合い精神があふれる行動でしたし、経済界やスポーツ界などからも物資支援や義援金が出されたりする様子をみていますと、日本人も変わってきていることを実感します(もちろん良い方向へです)

そして、被災地で大活躍している自衛隊・消防・警察などの活躍は目を見張るものがあり、原発にまでも駆り出される姿をみますと、大変な安心感を日本中にもたらせたとともに、世界中にその優秀さを見せつけることができたと思っています

もちろん、震災時に中国人留学生を助けた人や、避難誘導にあたった役場職員や警察官など、他国からも賞賛された人もたくさんいまして、日本人としての誇りすら感じることもありました

このような前線で命がけで働き賞賛されている人は数多くいるのに、情けないのは東電と政府で、被災者だけでなく外国からも非難・批判されているばかりで、民間や一般公務員の活躍とは裏腹に、政治の力がまったく目立たないのは情けなかったです